誰も知らない小さな世界

探していたすべては 隣にいた君だった

▽曇天の光

お久しぶりです。

こんにちはこんばんは、カエデです。

 

今回は2019年、平成も終わるという中で

色々と思うことがあったので自分用にでも書き記しておきます。

 

クリスマスも終わった頃、

(彼氏の長期休暇ということで居候し実家を留守にしており)

久しぶりに仕事のため実家へ帰った日、忘年会と題して

家族全員で夕飯を食べに行きました。

 

ご飯を食べながらお互いの年末の総括を話したり

なんと両親に恋愛相談をしたり。

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その時にとったメモです

25歳になった今、自分の心の根っこを

ゆっくり頑張って変えるということ。今後一生の課題ですが。

相変わらず仕事で自己判断だけで行動しミスしたり

彼氏に頼り切ってばかりなので、少しずつ自立してやるぞ、という

覚悟を込めて書きました。戒めの楔とならん。(厨二

 

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で、まあ年も明けて。

祖母と伯父さん夫婦と両親と新年会をしました。

腰の容態も良くなりグループホームに去年から住み始めた祖母。

家具や生活用品もろもろはとっくに移動し、

はては庭の植木、塀まで綺麗に整地されており

昔の祖母宅の面影は全くなく。

祖母が一瞬とても悲しそうな顔を見せたのを覚えています。

私も、祖父が大切にしていた庭がさら地に

なっているとは聞いていましたがそれ以降用事がなく行かなかったので

だいぶショックを受けました。

 

そしてお昼。みんなで寿司や揚げ物、馬刺しを食べながら

宴会をして一息ついていた後、事件は起こりました。

普段ならずーっと饒舌な父親が、顔を真っ赤にして

ずっとニコニコしながらうつらうつらとしはじめたのです。

「あぁ、いつも缶ビール1本で酔うのに2本も空けて

これは出来上がってるんだな」と思っていたのですが、

母親や叔母さんが声をかけても呂律が回らない返事。

寝かせた方が良いのでは?という祖母の提案から

布団を敷き、父親が立ち上がろうとしたその時でした。

 

私の目の前で、おもいきり、父親が、棚へ頭をぶつけ倒れました。

ゴツン、と響く鈍い音。へらへらとしている父親。

明らかに様子がおかしい。これはやばい。

そこにいた全員が血相を変えました。

母親はパニックになり、祖母の提案から血圧を測ったり

嘔吐する父親の傍に付きっ切り。

私はといえば、ただネットで症状を調べて見守ることしかできませんでした。

「きっとこれは急性アルコール中毒、そうに違いない。

しばらく横にさせてあげて、静かにしてあげよう。」

救急車を呼ぶほどでもない、と。そう言って母親を

落ち着かせることで手いっぱいでした。

数時間たったころには父親も意識を持ち直し、

その日は自宅で早めに寝るようにしました。

 

次の日。なんと父親は早番(5時起き出勤)。

仕事柄上人手不足ということもあり、この年末年始は

よく考えても父親は早番で働き詰めでした。

 

その日の午前中、母親と私は用事のため色々出かけており

「お父さん昨日の今日で仕事できてるかな、大丈夫かな」

などと車の中で雑談していました。

 

その時、母親の携帯に電話が。

呂律の回らない父親が職場から電話してきました。

同僚さんに通話が代わり、

「普段できている仕事ができていないみたい」

「一日中具合が悪い具合が悪いと言っているので病院へ行った方が」

とのことでした。

 

丁度運転していた私は父親の職場へ直行しました。

職場へ着き、顔色が悪い父親を迎えに行きました。

ふらふらとしている父親を見て思わず涙ぐみ、ハグをしました。

(大丈夫だ心配するほどのことじゃねえ!)という感じで

手を振りほどされておもいきり泣きそうになりました。

職場の人の手前、きっと恥ずかしかったのだと思います。

(やっぱりショックでしたけど)

 

そこから病院、いろいろな検査。

ため息をつく父親とおどおどする母親。

どれくらい待ったか、脳の精密検査をすることになりました。

車いすに乗った父親が検査室に入っていきました。

母親が待っている私に手で×を作り、隣に座りました。

脳梗塞、だって。」

詳しいことは検査してみないともっとよくわからないけれど

倒れる前にちょこちょこと頭の中でいろいろ進んでいたようでした。

幸いにも早くに見つかったのでよかったような、

父親の他の持病の治療もストップになるので悪いような・・。

 

私は、車の中でおもいきり泣きました。

空が蒼くて、心の中がぽっかりして、

どうしていいか分からなくて。

 彼氏に泣きじゃくりながら電話して心を落ち着かせて。

なんとか自宅に帰って安定剤を飲んでその日は死んだように眠りました。

それから、私の心に冬が来たように鬱を拗らせ、

無気力な毎日を過ごしています。

 

「お父さんが寂しがっているから」と毎日病院に通う母。

出来る限り、家事をやることになりました。

風呂掃除、洗濯物取り込み、冷蔵庫の食材管理、料理etc・・・

今まで鬱だからとやらなかったことを一挙に引き受けることになりました。

(正確に言えば昔義務としてやっていたことがやれなくなっていた)

 

それから、母親の愚痴を聞くことにももちろんなります。

母親にも心療内科を勧めましたが

「話して変わることじゃないし、お金取られるし薬を飲んでも良くならないし嫌」

ときっぱり言われました。(´・ω・`)

 

今日は父親が倒れてから初めて、病室にお見舞いに行きました。

脳のリハビリをしたり同部屋の人がインフルエンザにかかったようで

タミフルを飲んだり どたばたしたようです。

顔色はまあまあ良くなっていて、食欲もあって安心しましたが。

声色だけは元気がなくて、ちょっと悲しかったです。

「ちょっと働きすぎだからゆっくり休んで」と手を握って

病室を後にしました。

母親はといえばいつものクソネガブラックジョークかましてたので

あとで叱っておきました。

 

去年も大変でしたが今年はもっと大変な一年になりそうです。

自分へのストレス、母親からのエナジードレインを頑張って減らしつつ

ゆっくりと色々なことを頑張っていきたいと思います。